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日本の夏 其の三 古代の名前


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唐津の海。

若松の売れっこ四柱推命師、Sさんに案内していただき、行橋、宗像、雷山、平原、唐津・・と古代地図をたどった。あとから愛新覚羅家の末裔で占い師ユーハンちゃんも加わり、旅はまるでキャラバンのよう。中国からダイナミックな海洋地図を描いた。九州はすごい!

頭のなかは、伊都の国やら豊津国、邪馬台国やら新羅、楽浪郡情報でいっぱい・・!
質問のマニアックさに平原博物館のスタッフの方にもびっくりされてしまった・・。私もわからないんです、どうしてこんなに古代が気になるのか!歌っていないときは、発掘でもしたらいいのかしら・・。誰か、詳しい方、声をかけてください。

それから親戚のいる多良岳へ上り、お墓参りなど、長年やっていなかったお盆の行事をした。
10年ぶりに会う人たちもたくさんいて、懐かしい時間。
一年に一度こうやって一同会するのって、日本の大切な文化なんだなあ、と思ったり。

日本の夏 其の三 古代の名前_d0101430_2345104.jpg
 (有明海を見渡す山の道。麓の駅から4キロのぼります)

そして、地元でとても詳しく編纂された「太良町史」をめくっていると、なんと !! 

「タラ」という地名はサンスクリット語の「シューダラ」から由来している。

とある。

そして、

「インドのマガダ国が紀元前4世紀に滅んだ後、王とその末裔が黒潮に乗って、ビルマあたりを通って、やがては平戸に漂着した。それから、そこを「シジキ」と名づけ、より住みよい場所を探し多良岳へ移住した」

ですって!

「古代仏教徒であった彼らは山中で修行し、やがては彦山、熊野に飛来し、権現様と尊ばれるようになった」

なるほど、確かに密教の修行場で有名です。


「ところが、やがて成立したヤマト朝廷に「土蜘蛛」と呼ばれ卑しめられ、征伐された」

!!!!!

「誇り高きマガダ人の名残は、太良町にある「シジキ様」などに残るのみであり、その話は村人に語り継がれている」

こんな文書が、オフィシャルな太良町史に書いてあるのだ!!!

本当に紀元前4世紀にマガダ国が滅んで、日本に黒潮で来た、というのは海流の流れからして十分考えられるのではないだろうか。ただ、王その人だったかはわからない。古代仏教が、紀元前にすでに来ていたというのも、じゅうぶんうなずける。
ギリシャからもなにか来てたよ、きっと!!


「土蜘蛛」は、支配者が朝廷に屈しない民族を征伐するためにつけた名前だ。「穴の中に住み、手足が長かったことから」といわれるが、どこまで本当かわかったもんじゃない。(マガダ人はそうだったかもしれないけれど) 

海からやってきた、ものすごく進んだ人たちだったかも。

考えれば、考えるほど、ロマンが広がります。
有明海のあたりは、マガダ人が気に入ったくらい、とってもいいところなので、ぜひ一度行ってみてください!(お国自慢)
by miomatsuda | 2008-08-16 11:16 | ◆日々雑感/Notes

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