新年初・移民のうたコンサート
2018年 01月 05日
「啞蟬坊演歌とブラジル移民のうた」http://www.theaterx.jp/18/180113-180113p.php
出演 土取利行 松田美緒
会場 シアターΧ(カイ)
開場13:30 開演14:00
チケット 1000円!!!(全席自由)
東京都墨田区両国2-10-14 両国シティコア内
TEL:03-5624-1181
チケット申し込み http://www.theaterx.jp/ticket.shtml

第五回シアターΧでの「唖蝉坊・知道演歌 : 明治大正の女性を唄う」に出演していただいた松田美緒さんは、その数週間後にブラジル・サンパウロ市へ渡航。 前回話題を呼びドキュメント賞も得たNNNドキュメント『ニッポンのうた』の第二弾とも言える『移民のうた』(11月26日放映)のTV 収録のためだった。 彼女はナビゲーターとして、一世紀前に移民としてブラジルに渡った人々の心の支えとなってきた<歌>を訪ねる。
2017年9月7日Facebookより
「ブラジルと啞蟬坊」
2週間のフル撮影は無事終了。
本当に思えば思うほどに、ものすごい2週間だった。5年前の出会いから始まって、歌を書いた3人「佐々木重夫さん」「大原守郎さん」「菅原虎之介(天中軒満月)さんの足取りを追い、サンパウロ市内から赤土の大地を往復1500キロの旅。追えば追う程に、彼らの書いた詩がいかに人生を人間性を表していたか、どうしてその一節が私の心を強く惹きつけたのか、少しずつわかっていった。あっと驚きながらもすべてがつながって、腑に落ちる、導かれた旅だった。この3人のことはドキュメンタリーでしっかりと出ると思うので、ここに書くのは、ものすごく驚いた発見。
7月30日に土取利行さんに招かれ「明治大正演歌」の女性の歌をテーマに歌ったのだけど、それから1ヶ月も経たないうちに、ブラジルでその歌に出会ってしまったのだ。サンパウロ市内で85歳の現役音楽プロデューサー坂尾英矩さんとお話した時のこと。
「そういえば僕の先輩の丸山さんが言ってたなあ、初期移民が明治の流行歌に乗せて替え歌を歌ってたって話。いろんなコロニアの酒の席で違う歌詞を聴いたって。それはなんの歌だったかなあ」
「・・・もしかして、ラッパ節ですか?」
「・・そう!ラッパ節!」
なんと、明治の演歌師・添田唖蝉坊の作った「ラッパ節」だったのだ。〜トコトットト〜のラッパ節。
笠戸丸で最初に着いた日本人はコーヒー農場で働きながらこのラッパ節に歌詞を乗せて歌っていたのだという。「ラッパ節ですか」という問いは、7月30日のコンサートがなければ脳裏によぎることもなかった。土取さんから、ラッパ節が日本全国津々浦々でいかに流行ったかということを聴いていたおかげだ。さらにラッパ節は「十九の春」「ナット節」などのもとになっていて、佐々木重夫さんの「移民節」だってラッパ節の親戚なのだ。
それから、明治大正演歌に毎日のように出会うことになった。
アリアンサの弓場農場の図書館で手に取った本に「青島節」「籠の鳥」の替え歌の歌詞を見つけ、笠戸丸の中で作られたという「ラッパ節」の歌詞も見つけた。出会った歌には「戦友」「一高寮歌」の替え歌まである。(これらの歌を1ヶ月前まで知らなかったのだ!)
おまけに、「五木の子守唄」などの歌詞を書いた大原守郎さんが書いた直筆の譜面の中に、シアターカイでアンコールに歌った唖蝉坊の「新磯節」まで見つけてしまった。
掘ったら掘るだけ、明治大正演歌にのせた移民たちの喜怒哀楽の情景の詩が出てくるのだった。
シアターカイでうたった歌と私のこれまでのブラジルとがまったく関わりのないと思っていたのが、移民の歌というテーマでしっかりと結びつき、響き合っていた。
広大なブラジル、サンパウロで出会った歌、それを歌っていたすべての人たちに、乾杯!!こんなすごい旅をさせてくれたテレビチーム、コーディネーター内田さん、出会ったすべての忘れがたき人たちに、深く感謝します。
この出会いの種をこれから育てていきたい。出会った歌を私が心こめて、日本へ持ち帰り、歌います!!
