Oh, my creole life !
2014年 11月 15日
怒濤の10日間を暮らしました。
11月4日、もともと「クレオール・ニッポン」についてのインタビュー、ラジオ出演のために東京へ向かったのですが、新幹線に乗る前に、ベネズエラ大使館の名物文化担当官でクアトロ奏者でもあるモリス・レイーナ氏から電話がかかってました。
なんと、「ベネズエラから来たトリオと一緒に明日からツアーに参加してもらえないか、歌手の子がトラブルで来れなくなったから」という話でした。
そのトリオはTrio Aldemaro Romero。
アルデマーロ・ロメロは、ベネズエラの豊かなフォルクローレとジャズ、ボサノヴァを融合したベネズエラ現代音楽の巨匠。その音楽はオンダ・ヌエヴァ(ニューウェイヴすなわち、ポルトガル語でいうボッサ・ノヴァ)と呼ばれます。私もベネズエラに行った時彼の名曲"Quinta Anauco"を何度インストで聞いて涙したことか。
で、このトリオは彼の音楽を演奏するピアノトリオで、ベースのグスターヴォとはカラカスのパランダ(ベネズエラ風音楽セッションの宴)で一緒に演奏したこともありました。
というわけでその日の夜、インタビューの後、一同に介し、これ歌ってとCDを渡されるも、CDプレイヤーを持っていなかったので、そのまま渋谷の雑踏の真ん中に停めてあった大使館の車まで行き、Iphoneの音声レコーダーでカースピーカーから流れる歌3曲を録音するというやり方で、音源をゲット。夜、歌を覚えて、翌日にはその1曲で名曲" De Repente "をブルーノートが経営するカフェ104.5での演奏で初めて歌い、翌日は豊橋へ運ばれて行ったのでした。
こんなこと日本じゃありえないけど、ベネズエラだったらありえる話で、かなり対応力が鍛えられます。
何の準備もないので、荷物を送ってもらったり買ったりしてなんとか自分をコンサート仕様に。
それでもこのベネズエラの素晴らしいトリオと、美しくエネルギッシュな歌をうたうのは、スリリングで至福の時でした。ベネズエラは私にとっての音楽の学校で、どれほどあの土地で大切なことを教わったかわかりません。そんな豊かな音楽大国の日々を思い出させてくれました。
豊橋のプラッツホールのコンサートの翌日は高校を訪問、一緒にお茶席に座らせていただき、その後はオーケストラの団員さんたちとも交流。それも本当に新鮮で楽しかった。なんと豊橋にはベネズエラ友好協会があるのです。素敵な方々と思いがけなく出会えて嬉しかったです。
それから大阪のCHOVE CHUVAでまたまたライブが盛り上がり、もちろん最後はミュージシャンの人たちが加わりセッション。いつもなら最後までいたいところですが、翌日東京へ舞い戻ってリハーサルへ行ったのでした。
で、そのリハーサルというのが、前々から頼まれていたアンゴラ大使館のパーティーのため。大使ご夫妻より「アンゴラの音楽を1時間演奏してほしい」と頼まれたため、急遽バンドを結成し、アンゴラ100%のステージを準備したのでした。リスボンに十年前に住んでいた頃、いつもアンゴラのミュージシャンの友達と歌っていたキンブンドゥ語の歌やらポルトガル語の歌やら、大使からこれ歌ってと送られてきた昔のヒット曲やらを集めて、譜面化してもらって(ありがとう、永見行祟さん、山口亮志さん)とうとう12日に、ホテルオークラのパーティで演奏。
ちなみにアンゴラ国歌は以前代々木国立競技場でサッカーの日本・アンゴラ親善試合で歌ったことがあり、それ以来。その時の写真が出て来た!
その時にもらったこのドレスが着たかったけど、腕がここまでしかあがらないので断念!
さて、300人来場したアンゴラナショナルデーのダンスタイムではアンゴラ大使、スイス人のご夫人を始め、アンゴラの人やいろんな人たちが踊ってくれました。これはまたやりたい。「アンゴラナイト」を企画しようと思います。
とはいえ、今いちばんかかりっきりなのが、「クレオール・ニッポン」のCDブックです。12月4日のコンサートで先行発売に間に合わせるべく、デザインや校正についてアルテス出版社の方と確認作業の山。歌っていないときは、これをやっていました。また、インターネットラジオOTTAVAで、林田直樹さんととても楽しいおしゃべりをしたのでした。また、この日、初めて「クレオール・ニッポン」の音源が電波に乗ったのでした。
https://www.youtube.com/watch?v=28KvFheE02k&feature=youtu.be
番組はここで聴けます!一時間たっぷりお話ししました。
アンゴラが一段落した翌日は、ベネズエラ大使公邸にて、来日することができた歌手カルメラ・ラミレスも一緒に、パーティー。その夜もまた音楽の血がさわぐ。大使も公使もみんな音楽好きで歌って踊って、これぞベネズエラでした。
そして、昨日は、東京ブルーノートで、トリオのコンサート。私もカルメラと一緒に名曲"De Repente"を歌ったのでした。コンサートは満員!私も二部は後ろでコンサートを全部観て、彼らと彼らの音楽との出会い、アルデマーロ・ロメーロのオンダヌエヴァとの衝撃的な出会いに感謝して、様々なルーツの融合が織りなしたベネズエラ音楽の豊かさに酔いしれたのでした。
トリオ来日ツアー最後のコンサートに駆けつけることができたカルメラと。
ああ、やりきった、おわったー。
みんなにお別れしてホテルに帰ったら、気が張っていたのがゆるんで、ベッドに撃沈。
日本にいながら毎日いろいろな言語と音楽が入り交じった怒濤の10日間でした。
「クレオール・ニッポン」を発表する前に重要なクレオールの日々でした。
Oh my crazy and precious creole life !
それでも、旅は続く。
来週は、出雲と南相馬へ行きます!
11月4日、もともと「クレオール・ニッポン」についてのインタビュー、ラジオ出演のために東京へ向かったのですが、新幹線に乗る前に、ベネズエラ大使館の名物文化担当官でクアトロ奏者でもあるモリス・レイーナ氏から電話がかかってました。
なんと、「ベネズエラから来たトリオと一緒に明日からツアーに参加してもらえないか、歌手の子がトラブルで来れなくなったから」という話でした。
そのトリオはTrio Aldemaro Romero。
アルデマーロ・ロメロは、ベネズエラの豊かなフォルクローレとジャズ、ボサノヴァを融合したベネズエラ現代音楽の巨匠。その音楽はオンダ・ヌエヴァ(ニューウェイヴすなわち、ポルトガル語でいうボッサ・ノヴァ)と呼ばれます。私もベネズエラに行った時彼の名曲"Quinta Anauco"を何度インストで聞いて涙したことか。
で、このトリオは彼の音楽を演奏するピアノトリオで、ベースのグスターヴォとはカラカスのパランダ(ベネズエラ風音楽セッションの宴)で一緒に演奏したこともありました。
というわけでその日の夜、インタビューの後、一同に介し、これ歌ってとCDを渡されるも、CDプレイヤーを持っていなかったので、そのまま渋谷の雑踏の真ん中に停めてあった大使館の車まで行き、Iphoneの音声レコーダーでカースピーカーから流れる歌3曲を録音するというやり方で、音源をゲット。夜、歌を覚えて、翌日にはその1曲で名曲" De Repente "をブルーノートが経営するカフェ104.5での演奏で初めて歌い、翌日は豊橋へ運ばれて行ったのでした。
こんなこと日本じゃありえないけど、ベネズエラだったらありえる話で、かなり対応力が鍛えられます。
何の準備もないので、荷物を送ってもらったり買ったりしてなんとか自分をコンサート仕様に。
それでもこのベネズエラの素晴らしいトリオと、美しくエネルギッシュな歌をうたうのは、スリリングで至福の時でした。ベネズエラは私にとっての音楽の学校で、どれほどあの土地で大切なことを教わったかわかりません。そんな豊かな音楽大国の日々を思い出させてくれました。
豊橋のプラッツホールのコンサートの翌日は高校を訪問、一緒にお茶席に座らせていただき、その後はオーケストラの団員さんたちとも交流。それも本当に新鮮で楽しかった。なんと豊橋にはベネズエラ友好協会があるのです。素敵な方々と思いがけなく出会えて嬉しかったです。
それから大阪のCHOVE CHUVAでまたまたライブが盛り上がり、もちろん最後はミュージシャンの人たちが加わりセッション。いつもなら最後までいたいところですが、翌日東京へ舞い戻ってリハーサルへ行ったのでした。
で、そのリハーサルというのが、前々から頼まれていたアンゴラ大使館のパーティーのため。大使ご夫妻より「アンゴラの音楽を1時間演奏してほしい」と頼まれたため、急遽バンドを結成し、アンゴラ100%のステージを準備したのでした。リスボンに十年前に住んでいた頃、いつもアンゴラのミュージシャンの友達と歌っていたキンブンドゥ語の歌やらポルトガル語の歌やら、大使からこれ歌ってと送られてきた昔のヒット曲やらを集めて、譜面化してもらって(ありがとう、永見行祟さん、山口亮志さん)とうとう12日に、ホテルオークラのパーティで演奏。
ちなみにアンゴラ国歌は以前代々木国立競技場でサッカーの日本・アンゴラ親善試合で歌ったことがあり、それ以来。その時の写真が出て来た!
その時にもらったこのドレスが着たかったけど、腕がここまでしかあがらないので断念!
さて、300人来場したアンゴラナショナルデーのダンスタイムではアンゴラ大使、スイス人のご夫人を始め、アンゴラの人やいろんな人たちが踊ってくれました。これはまたやりたい。「アンゴラナイト」を企画しようと思います。
とはいえ、今いちばんかかりっきりなのが、「クレオール・ニッポン」のCDブックです。12月4日のコンサートで先行発売に間に合わせるべく、デザインや校正についてアルテス出版社の方と確認作業の山。歌っていないときは、これをやっていました。また、インターネットラジオOTTAVAで、林田直樹さんととても楽しいおしゃべりをしたのでした。また、この日、初めて「クレオール・ニッポン」の音源が電波に乗ったのでした。
https://www.youtube.com/watch?v=28KvFheE02k&feature=youtu.be
番組はここで聴けます!一時間たっぷりお話ししました。
アンゴラが一段落した翌日は、ベネズエラ大使公邸にて、来日することができた歌手カルメラ・ラミレスも一緒に、パーティー。その夜もまた音楽の血がさわぐ。大使も公使もみんな音楽好きで歌って踊って、これぞベネズエラでした。
そして、昨日は、東京ブルーノートで、トリオのコンサート。私もカルメラと一緒に名曲"De Repente"を歌ったのでした。コンサートは満員!私も二部は後ろでコンサートを全部観て、彼らと彼らの音楽との出会い、アルデマーロ・ロメーロのオンダヌエヴァとの衝撃的な出会いに感謝して、様々なルーツの融合が織りなしたベネズエラ音楽の豊かさに酔いしれたのでした。
トリオ来日ツアー最後のコンサートに駆けつけることができたカルメラと。
ああ、やりきった、おわったー。
みんなにお別れしてホテルに帰ったら、気が張っていたのがゆるんで、ベッドに撃沈。
日本にいながら毎日いろいろな言語と音楽が入り交じった怒濤の10日間でした。
「クレオール・ニッポン」を発表する前に重要なクレオールの日々でした。
Oh my crazy and precious creole life !
それでも、旅は続く。
来週は、出雲と南相馬へ行きます!
by miomatsuda
| 2014-11-15 18:38
| ◆日々雑感/Notes