松田 美緒のオフィシャル・ブログ MIO MATSUDA's official blog
by miomatsuda
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布の魔術師
時広真吾さんとの出会いは、鼓童の渡辺薫君を介してでした。風にはためく衣装の写真を見たとき、「神様が宿った衣装だ!」と思いました。時広さんは布の魔術師です。大小の動きによって衣装が表情を変えていきます。いつ着る日が来るのかわからないけれど、どうしても持っていたい衣装たち。まるで生き物のように私の部屋で「太陽」や「月」、「春の女神」として呼吸しています。太古の昔から続く人間の営みが宿るような衣装は、古代、中世、ルネサンス、シルクロード、中国大陸、マヤ文明、和など次々に想像をかきたてます。時広さん曰く、天から降りてくる啓示のように生まれる衣装は、まとっていると温かく守られている気持ちになります。「戦争と平和」というスカートや(最近よく着ています)、「雷鳴」というドレス、「雪想」のガウン、「海潮音」という藍染めのチュニックなど、タイトルも深遠です。パイナップルの繊維でできたショールは南国のエネルギーが素材感に生き生きと表れていてお気に入りです。京都の青蓮院、草月ホールでのコンサートでも時広さんの衣装を着て歌いました。
 今日は、そんな時広さんのスタジオ「リリック」にお邪魔して、23日の衣装を決めました。もうすっかり仲良くしていただいて、いつもお茶呑み呑み、話題が尽きません。写真はリリックにて。
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Photo by 八雲浄麿 
時広真吾さん HP http://www.shingotokihiro.com/
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# by miomatsuda | 2006-12-14 22:31 | ◆日々雑感/Notes
ギターサミット
今日は銀座の王子ホールで開催されたイベント、その名もギターサミットにゲスト出演しました。鬼怒無月さんを核にフラメンコの沖仁さん、クラシックの木村大さんという才能とオリジナリティ溢れるギタリストの方々のコラボレーション、凄かったです。私は鬼怒さんと、PARAIBAそしてPITANGA!の2曲。プログラムではファド歌手となっていましたが、見事にブラジルでしたね。。ボーダーレスな鬼怒さんと一緒に即興的に歌うと、国境も地域も通り抜けて体も心も解放されます。とても楽しい企画に参加できて、幸せです。新たな出会いに刺激もたくさんもらいました。出演者の皆さん、スタッフの皆さん、王子ホールの皆さん、ありがとうございました。 写真は打ち上げにて。鬼怒さんと木村大さん、後ろには日比谷カタンさん。
家路に着く道すがら、急行に乗り、ぼーっとして最寄り駅を乗り過ごし、大回りするはめに。乗り換えして別の駅からタクシーに乗ったところ、なんと運転手さんが、ブラジルのNOVOS BAIANOSの一枚目が好きなんですって。それ、最近久しぶりに聴いてやっぱりいいなと思い、USENの番組MINTSでかけてたところでした。本当に、どこでどんな出会いがあるかわからないから人生って素敵ですね。
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# by miomatsuda | 2006-12-14 01:27 | ◆日々雑感/Notes
ブログ始めました。
 こんにちは、松田美緒です。公式ホームページ立ち上げまでの間、このブログで、いろいろなお知らせをしていきたいと思います。よろしくお願いしますね!
 書きたい事が山程ありますが、まずは11月22日に発売されたセカンドアルバムについて。
「ピタンガ!」というタイトルはセカンドアルバムを創ると決まったときから頭にありました。アフリカの旧ポルトガル植民地アンゴラ出身の歌手でWaldemar Bastosという人がいますが、彼とリスボンで会い、いろいろな話をしていた時に、この「ピタンガ」という言葉を聞きました。なんて可愛い名前だろう、と思ったと同時に、ずっと戦争で疲弊した祖国に向けて人間性の貴さを歌ってきた人が曲のタイトルにするとは、とても大切な意味があるに違いないと思いました。それから、アフリカの文化が色濃く残るブラジルのバイーアに行って、その果実と葉の感動的な意味を知ることとなりました。それは、ズバリ「幸せ」。ピタンガとは、もともとブラジル先住民のトゥピ族の言葉で「赤い実」を意味しています。ブラジル原産で、きっと大航海時代にポルトガル人によってアフリカまで運ばれたのでしょう。ピタンガの葉は、バイ−アではクリスマスと年末年始、街中に飾られ、岩塩と一緒に様々な儀式で使われます。葉をちぎってこすってみると、すごくいい香りがします。(香りにも色にも女性ホルモンを活性化させる作用もあるらしい!)今回のアルバムは、ブラジル北東部のリズムを多彩に入れて、聞く人がハッピーに踊れるようなアルバムにしたいと思ったので、やっぱりタイトルはピタンガだ!と思いました。
 ところで、念願の果実を食べたのはリオ郊外のバルジェン・グランヂのお宅。たわわに実ったピタンゲイラ(ピタンガの木)からあの燃えるような赤い実を食べたときの感動は忘れられません。甘酸っぱくて、仄かな苦味があって。ブラジル人にとってピタンガの実を食べるという行為はどこか幼少時代の思い出と重なるよう。私も小さい頃、グミを摘んでは食べながら学校に行っていました。それと似ているのかな。アンゴラの友達もやっぱりアンゴラでピタンガをもいでは食べ食べ学校に行っていたらしい。とりあえずピタンガはなんだかちっちゃな幸せをくれる魔法の実だったよう。
 そんな幸せがちょっとでも伝わったらいいな、と願いながら・・。ぜひ聴いてみてくださいね! そして、北東部の言葉がたくさん出てくる歌詩や、バイアォン、ショッチ、マラカトゥ、コーコなどリズムもお楽しみ下さい。ピタンガが香りますように。
 燃える赤い実、ピタンガ!

 


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# by miomatsuda | 2006-12-12 17:59 | ◆日々雑感/Notes
Cabo Verde 2005
カーボ・ヴェルデへ再び ~2月の旅~
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「もう一度、私はこの海をわたる。
心の翼にはどんな飛行機もかなわない!
赤道に近づくにつれ、海がもっと青くなる。
海が青いぶん、情熱は強くなる。
息を吸って吐いて、準備しよう。
一体どんなことが待っているのか。
天のご加護あれ!」 

サル島

「無限の空と平らな大地が、この心におおいかぶさった。
塩の島。不思議な巡り合わせ。」

空港に着いたのは午前2時。あてがない私が本能的に声をかけたのは、ギターを持ったいい人を絵に書いたようなアントニオ。6年ぶりに帰国した彼を待っていた友達はスキンへッドの弁護士、アマデウ。「こいつが帰ってきたから、祝杯をあげるんだ。エスパルゴのミュージックバーにいくから一緒にくる?」こう誘われ、どうせなら朝まで時間をつぶそう、と同行。行った先では知っているミュージシャンが弾いていた。「なんだー!君か!歌ってってよ」と到着後すぐモルナとコラデイラの”Saiko”を歌う。
明け方、豚足のスープとカッチュッパ・ギサーダを食べた。最高の味だった。
翌朝、サンタ・カタリーナで、一緒に仕事をしていたクレオールの踊り子たちと再会した。まるでついこの前、別の島に帰っていった仲間のように迎えてくれた。
ずっと頭の中で計画していた”Saiko”のビデオクリップのシーンを撮ろうと、クレオールのダンサーたちにブラジルのバザールで買ったひらひらのバイアーナ服を着てもらい、浜辺で踊ってもらった。私の歌う”Saiko”が大音量で響く。男の子のダンサー、セヴェリアーノとエジルソンも手伝ってくれる。ああ、よかった、夢がかなった!あなたたちの笑顔が撮りたかったの!!
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サン・ヴィンセンテ島

「宝石の海はまるで液体の感じがしない。船が休む寝床の毛布のよう。
この港で、私は休息を得た。長年知っているかのような言葉と褐色の人たちの中で。」
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前にハコバンで歌っていたホテルは4つ星なので、自費で泊まるわけにもいかないし、どこかに泊まろうと思って、友達から聞いていたペンションに行ってみた。その名も”Sodade” (saudade)。ブラジルから行ってみると、やはり値段が数段高い。どうしようかと迷っていたら、どっしりとした風格の女性が入って来た。「オーナーの方ですか」と尋ねると「皆そういうけど」と答える。素晴らしいベランダがある3階の部屋は70ユーロする。いろいろな交渉の結果、彼女はその部屋を地下室の部屋の値段(24ユーロ)で貸してくれたのだ!
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夕方、もと漁師でこの島に30年暮らす安部さんの家を訪ねた。彼のことは、カーボ・ヴェルデの友達何人かに聞いていた。空手のアベ、として有名であり尊敬されていた。ルイスというギタリストの友達に同行してもらい、安部さんのおうちを訪ねたら、奥さんが出て、家で待たせてくれた。突然帰宅を待っていた私に、さほど驚く様子もなく(ポーカーフェイスなのか?)、ひょうひょうとした感じの安部さん。向こうも、ドラマーのテイから私のことを聞いていたらしい。
この安部さん、若いときに宮城の漁村を小さな船で出港し、船がカーボ・ヴェルデで難破したとき、運命がきまった。カーボ・ヴェルデ独立後も、島に居続けて、空手を教えたりしながら食いつないで、時々日本に帰りながらも、素敵な奥さんと結婚して4人もお子さんを育てている。まさに数奇な人生を淡々と語る。どんなに商売で成功しても、また海に漕ぎ出さずにはいられなかったのは、海の男の本能だろう。なんだか初めて会ったようには思えない縁を感じた。

 
今回の使命は、あの歌"Saiko"の作者Ti Goyの息子に会うことだった。
そしてなんと、到着直後サル島で出会ったあのスキンヘッドのアマデウが、セザリア・エヴォラのプロデューサーでこの楽曲の権利を持っているジョゼ・ダ・シルヴァの顧問弁護士だったのだ。そんなわけで話も早い。TI Goyの息子ジョゼさんにも会うことも出来た。空港でアントニオに声をかけたあの直感は、やはり宇宙的なものだったのだろうか。
ジョゼさんと。
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“Saiko”はやはり60年代に大ヒットしたらしい。ねじりはちまきの日本の海の男たちが、この歌をクレオール語で一緒に歌っていたとしたら、なんて素晴らしい話だろう!こればかりは聞き取りでしかわからない話だ。マグロ漁船の漁師さんたちとカーボ・ヴェルデ人との文化交流の話は、本当に貴重な話。
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皆が少しずつ建設していく家々を夕陽が染める。ミンデロの夜は今日も盛り上がる。コラデイラとモルナのリズムは夜が深まるころに、ドラマとなって、踊らせ、そして泣かせる。少ない和音の中の豊かな感情、酔うほどのグルーヴ。酔っ払って宿「ソダーデ」に帰り、ベランダから暗闇を見つめる。たくさんの星。モンテ・カーラの山。なぜだろう。こんなに懐かしいのは?


サント・アンタン島

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「一番高い山の頂から見る海は、島をぐるっと囲んでいた。
すでに空との境界はなく、私も宙にとけていくようだった。
高い頂まで敷き詰められたカルサーダ(石畳)は、島の男女の労働の証し。
今日も手作業で敷きなおされる民の道。
途中の集落で、まっすぐな笑顔の女性が、乗合バスの中の女性に、大きな野菜の束を手渡した。かぐわしいコリアンダーの香りが車内に滑り込んだ。幸せが入り込んだ。
サン・ヴィンセンテ島に働きに出る友人に渡した、家で採れた野菜。カーボ・ヴェルデでは本当に貴重な野菜。この国の野菜のほとんどは、雨が比較的多くて緑が茂るサント・アンタン島で栽培されているからだ。これからこの野菜の束は、小さな船に1時間揺られ、サン・ヴィンセンテの港に着く。湿ったサント・アンタンの空気を運んで・・・。
 コリアンダーはまだ香っている。海は、もうすぐだ。」 

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この島に行ったのは、前回とても行きたかったけれど行けなかったため。この島はグロッグ(地酒)とバナナが有名。サント・アンタンのグロッグは最高の味で、カシャッサよりも好きだったりする。あと、ポンシュといって、蜂蜜と混ぜた甘いお酒もあって、これも最高だ。
かといって、サント・アンタンに友達がいるわけもなく、とりあえず日帰りで行こうと思い、サン・ヴィンセンテから早朝船で渡ることにした。30分早く行きすぎて、フェリーではなく、小さな乗合舟に乗ることに。牛がモーーーッと鳴いているのが聞え、行ってみると、大きな網で吊り上げられ、その船に乗せられている。すごい状態だ。
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一人で乗船する東洋人の私を皆じろじろ見るが、それも始めのうち。すごい揺れに吐くおばちゃんもいる。私は船のへりに頭をあずけ、ゆりかごのように揺られていた。白んでいく海がまぶしかった。

 夢のサント・アンタン。着いてすぐに、乗合バスに乗った。あてなんてない。グロッグで酔っ払ってへろへろだったよ、という歌があるリヴェイラ・グランデに行ってみたかったので、そこ行きのに乗った。すごい地形だ。がたがた揺れる車は、石畳の道をすごいスピードで走る。緑の島。ここはカーボ・ヴェルデで唯一の豊かな恵みの島だ。子供たちもおばあさんもすごい坂道を何キロも上り下りする。いくつかの集落を通り過ぎた。空気が澄んでいる。標高何メートルだろうか。
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 やっと島の向こう側の海が見えた。リヴェイラ・グランデだ。しかし、寝不足の疲れの中、少しぎらぎらするこの街を一人でほっつき歩くのは少し気が引けた。だから、もう少し乗っていることにした。次の街はパウル。なんとも平和な村に、気持ちがほだされて、バスから降りた。運ちゃんが、一つしかないレストランを教えてくれ、その前に止めてくれた。ここが運命の場となった。 
 まず朝食をとろうと、店の人に声をかけると、青年が現れ、楽にしてていいよ、と大きなベランダに連れて行ってくれた。岩山の上に、聖アントニオ像が立っている。ああ、なんて平和。
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 私が歌手だとかそういう話をしているうちに、カチュッパが出てきて、その味に舌鼓をうつ。そして、CDが聴きたいというので、アトランティカを渡すと、さっそくかけ始めた。何分か、最高の風に吹かれて夢のバナナを食べていると、店主らしき人がやってきてこういった。「あなたのことはもう知っています。国営ラジオで歌っているのを聞きました」えーーー!という驚きである。しかもその放送は、リスボンで歌ったあのときの放送。その声が忘れられなかったと言ってくれた。

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アルフレッド
「日帰りで帰るなんてそんなこと言わないで、一泊この島にしていってください。島を案内したいんです」その上、この村には日本人が仕事でいるという。大変興味を惹かれたので、どうしようかと思っていると、さっそく店主のアルフレッドは、私のサン・ヴィンセンテの宿ソダーデに電話をかけているではないか!なんとあの店主のおばさんとは同じブラヴァ島で幼馴染だという。その上、サル島に帰る飛行機のことをいうと、カーボヴェルデ航空に電話して、予約を変更までしてくれるではないか。あれあれ、といううちに泊まっていくことになってしまった。
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カーボ・ヴェルデの国全体の電話帳 薄い!!

 クレオール語ではポルトガル語と違って、名詞の前につく数詞はすべて男性系になる。”Um japonesa” というアルフレッドの言葉に、島にいる日本人は男性だとばっかり思っていた。しかし、現れたのは、カヨさんという女性だった。なんて驚き!しかし、これだけはない。彼女はその前の晩に、あるミュージシャンから私のことを聞いていたというのだ!しかも、彼は、去年の7月、ブラジルのミナス・ジェライス州の音楽祭で共演したCordas do Solというバンドの人だったのだ!彼らには会いたい、会いたいと思っていたが、連絡先もわからず、しかもどこに住んでいるかなんてわからなかった。そのメンバーの二人が、なんとこのカヨさんの隣の家に住んでいたのだ・・・。バンドリーダーであるアルリンドはリヴェイラ・グランデに住んでいたので、訪ねた。まったく信じられない話。グロッグにポンシュになんでもありの夜だった。
 
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Cordas do Solのメンバーと。
 このカヨさんがまた、すごい女性だ。私たちは意気投合して、夜は彼女の家に泊まらせてもらった。アメリカに住んでいて、平和の活動の一環としてこの島にきたらしい。彼女はクレオール語も上手に話す。本当に人生の中であまりないような出会いだった。
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 翌日、アルフレッドが島を車で案内してくれ、グロッグの工場にも連れて行ってくれ、私は5本ほど買ってしまった。最高だった!!1本はリオのカルリーニョスのスタジオにおいてある。
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昔ながらのグロッグ工場

翌朝、また例の乗合バスで港へと2時間半かけて旅した。
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馬が水浴びする海
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「私の魂は、深い藍色の海に溶けていく。
海はその大きな腕で抱きとめてくれる。
この島の人たちは、その瞳に悠久の海をたたえる。
おだやかで深い青を。
ありがとう、モラベーザ。
この海に吸い込まれ、抱かれて、私は子供に戻る。
人々の生活の速度に、呼吸は落ち着いていく。
モラベーザの海。ソダーデの瞳。
ありがとう。」
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「濃い藍色の海を渡る。赤道から少しずつ離れ、海はしだいに青白くなっていくだろう。海が青いぶん、情熱は強く、太陽が真っ赤に港を染めていた。切なさは、サウダーデは、出会いから生まれる。旅立ちのとき、また自由になる私は、新しいサウダーデを連れていく。海の色と塩の匂いと一緒に。
やがて、海は薄い青になり、太陽はその目を閉じるだろう。私のサウダーデもこの胸で休む。甘い疼きは優しい記憶になる」
当時の日記より。
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# by miomatsuda | 2005-02-22 23:29 | ◆旅日記/Traveler's note
Cabo Verde 2004
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 7月にブラジルに行く前、ピアニストのZe Afonzoから突然の電話が。"Mio, queres ir ao Cabo Verde?" 「美緒、,カーボ・ヴェルデに行きたい?」との質問に寝ぼけ眼で「うん、行きたい」というと「じゃあ、8月全部空けといて!」というではないか!彼が弾いているティト・パリスの店"Casa da Morna"に行くと、カーボ・ヴェルデにホテルを持っているポルトガル人の紳士が来ていて、「君のことは前テレビで見て知っているよ」と言われ、とても嬉しそうです。彼がZeに「誰かかモルナやファドを歌える歌手を連れてピアノとヴォーカルだけの親密なステージをやってほしい」と言った時に、私のことを思い出してくれたそうです。突然、手に入ったカーボ・ヴェルデへの切符、最大限にいいステージができるために、ブラジルに行く前日まで、Zeとリハーサルをしました。モルナやコラデラ、ファドを次々とリアルタイムで覚えていく作業でした。カーボ・ヴェルデの国民的詩人B.Lezaの息子Veladimir Romanoがくれたカーボ・ヴェルデの音楽とリズムについての冊子もかなり参考になりました。しかし、百聞は一見にしかず。
 ブラジルから帰ったのは8月3日で、5日にはカーボ・ヴェルデへと発ちました。ブラジル熱が冷めないまま、2日にも満たないリスボンを後に、Ze Afonsoとアルゼンチンの歌手Lucia Etchagueと出発です。カーボ・ヴェルデまでは3時間。なんと、ブラジルの北部とカーボ・ヴェルデも3時間で、まさにポルトガルとブラジルの間の飛び石のような島国なのです。
 夜出発の飛行機はCabo Verde Airlines。さすがカーボ・ヴェルデ、3時間も平気で遅れました。国際空港がある、一つ目の島サル島(塩の島)に到着したときはもう深夜。ホテルでゆっくり眠った後、外に出てみると・・・・。なんと美しい海でしょう!!!エメラルド色に輝く、今まで見たこともない澄んだ海でした。仕事は明後日までないので好きにしていて、と言われ、海でのーんびりしました。

 この島で初めと最後の1週間ずつを過ごしました。このサル島は、世にも美しいビーチと塩田があるだけで、あとはまったく不毛の地です。もともと無人島だったとは聞いていましたが、カーボ・ヴェルデの島々はサント・アンタン島をのぞいては、人が生きていくのは大変な環境です。野菜や果物などがとても育ちにくいのです。
 夜は9時頃からステージをしました。おもにポルトガル人が多かったので、ファドが喜ばれました。それでもピアノとデュオなので、思いっきり遊んでしまいました。ファドをスィングで歌った、「マリア・リスボア」をカーボ・ヴェルデのリズムのコラデイラで歌ったり、「暗いはしけ」をバトゥッキで歌ったり、ポルトガル人もびっくりしていました。カーボヴェルデ人は大喜び。
 サル島で、ほとんどがサン・ヴィンセンテ島から来ている踊り子、パフォーマー、歌手の子達と一緒に仕事をし、とても仲よくなりました。彼らが踊るのを見て、一緒に踊って、どんどんこの国の音楽のリズム、グルーヴが体に染み込んでいくようでした。クレオール語も毎日聞いているうちに、たくさん話せるようになりました。思い出せばとても懐かしいです。Sodade(saudade)でいっぱいです。みんな、元気かなあ。
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 次に行ったのは、Ze Afonsoの故郷で、カーボ・ヴェルデの心と言われるサン・ヴィンセンテ島。突然の大雨と竜巻の後で、あいにくの悪天候が続きましたが、面白いことだらけでした。小さな島なので、私達のホテルPorto Grandeの前の広場に、若者が結集してはぞろぞろと歩いては暇をつぶしているのです。サン・ヴィンセンテの人ならば若い頃必ず行った社交の場が、この広場だったそうです。何もしないでただ歩いているだけなのですが、好きな子がいると、わざと反対側から回って、何度も出会うようにしていたらしいです。なんと平和なこと!!
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教会の前で夕方集まってギターを弾き歌う子供たち。

 サン・ヴィンセンテは貧困を目の当たりにした場所でもあります。道で生活する子供達や、屋根のないまま人が住んでいる家(これはもう見慣れました)、空き地に勝手に壁だけ作っては「販売中」と書いた家。それにしても、物価は驚くほど高く、ポルトガルよりも高いものもあります。一体、どうやって生活が成り立っているのだろう、と疑問でいっぱいでした。住民よりも多いのが海外に移住したカーボ・ヴェルデ人。その理由はこうした雨の降らない土地のせいでもあります。
 サン・ヴィンセンテの観客は地元の人が多く、ステージはとても盛り上がりました。しかも、ゲストでパーカッショニストでパリ在住のジニーが入ってくれ、毎日のように楽しいセッションをしました。ちょうどカーボ・ヴェルデきってのピアニストChico Serraもいて、一緒に歌ったりできました。セザリアのCDにいつも参加していたLuis Ramosという素晴らしいギタリストに会い、一緒にファドをモルナで歌ってみたりと、空いた時間に合わせてみました。すると、ぴったり合うではないですか。やはり、つながっている!と感動しました。面白いことにポルトガル人でカーボ・ヴェルデのリズムが出せる人は知りませんが、カーボ・ヴェルデ人にはファドが簡単に弾けるし、それを簡単にモルナに料理できてしまうのです。
 
 日本語のサビがある「Saiko daio」というコラデイラを、初めて歌ったのもここでした。みな、コーラスをして踊ってくれました。詩人で作曲家B.Lezaはこの島の出身なので、彼が作った美しいモルナをたくさん歌いました。カーボ・ヴェルデのラジオ、テレビ局も取材に来て、ライブの模様を伝えていました。
深夜にステージが終わると、le musique cafeというお洒落なライブハウスに遊びに行って、熱い熱いカーボ・ヴェルデの地元の夜を楽しみました。サン・ヴィンセンテの魅力は何と言っても、優しくて温かくてまっすぐな人々でしょう。

 それにしても5年以上前にセザリアをヴァンクーヴァーで見てから、こうやってカーボ・ヴェルデに来る事ができためぐり合わせにただただ不思議でした。素晴らしいです。
セザリア・エヴォラに会いにお家まで行きましたが、あいにく外出中とのこと。「またいつでも会えるさ」というZe Afonzoの言葉に「そうだね、まあいっか」と言っているうちに、もう出発・・。セザリア、次こそは会いたいです。
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コンポーザー Manuel D'Novasと。

 次の島はサン・ティアゴ島プライア市。クレオール語も、人種も文化も、北部の島々とは違っていて、よりアフリカ色の濃い場所です。コンゴなどアフリカリk内陸部から連れてこられた奴隷の文化が色濃く、リズムはバトゥッキ、フナナ、チャバンカなど、パーカッシヴで結構短調なダンス音楽です。でも踊っているうちにトランスしていくのは否めないし、美しい歌も多いです。一言で言うと「激しい」文化といえます。
島を一巡りしましたが、なかなか大きな島です。山の方は、とても美しい景色が。まるで中国の墨絵のようでもありました。ただ、悲しい事にゴミが多くて、信じられない位の汚さの場所がありました。
写真はそのうち・・・。超豪華なホテルで歌うのはいいとしても、中心からかなり離れていて、人が少ない場所でした。それでも海の風を感じながら屋外の庭のステージで歌うのは気持ちがよかったです。
 このとき、ブラジルのノルデスチの歌手Robston Madeirosに出会いました。彼は私達とは違う日程で島から島へと移動していたのですが、ちょうどサル島へ帰るときにホテルの空き部屋がなかったので、まだプライアに残っていたのでした。彼はギター一本で膨大な量のレパートリーを弾きこなす人です。温かい声と本当にいい歌で、たくさんブラジルの美しい歌を教えてくれました。ノルデスチの音楽の素晴らしさを教えてくれたのも彼です。彼がまだいる間と、サル島に戻ってからも一緒にステージで共演しました。それにしても、ブラジルの豊かなコードを聴くとほっとしました。
 プライアにいるときに、地元のテレビ局が来てホテルの宣伝番組を作っていきました。それに私とルシアが歌っているのが入っています。一体あれはどうなったんだろう?
また、Cafe de Cabo Verdeというコーヒー会社のご夫妻とお友達になって、プライアにある工場の見学をさせてもらいました。なんと、ポルトガル人でギマランエス出身のこのご夫妻は大のコーヒー好きで、本物のコーヒーが飲みたいからと、カーボヴェルデで会社を始めたのです。でも、家の機会が壊れているからと、ホテルまで毎日来ては自分のところのコーヒーを飲まれるのでした。とても優しいご夫妻でした。
 最後の2週間はサル島に戻りました。雨模様のプライアを後に、飛行機は青い青い海と真っ白な海辺のサル島へと到着。踊り子やスタッフの子達と再会を果たし、とても嬉しかったです。ホテルに空き部屋がないというので、私達だけ少し離れた素敵なペンションに。はっきり言ってここの方がよっぽどいい感じ、と思わせるような離れ具合。前は時が止まったままの海。「永遠の海辺」と呼びたいくらいでした。あの海の夕日は一生忘れられません。

 最後の日々は、とことん歌って楽しみました。いつの間にか皆を踊らせるのがとてもとても好きになっていた私。そう、それこそがこの地での醍醐味!と感じました。"Tud Dret!?"「元気?」とクレオール語で挨拶して、お客さんとの交流ももっとできるようになり、ポルトガル人もクレオール人も日を増すごとに、ステージの私とコミュニケーションを取ってくれるようになりました。ファドをどんなリズムにアレンジしようが、その心髄を忘れずに真剣に歌っていると、ポルトガル人の反応もとても温かいのが感じられました。それは、毎日テストを受けているかのようでした。
ある日、ホテルでのステージですごいハプニングがありました。大雨で、ステージと客席の間に雨が降ったのです!それもまるで滝のように・・。「今まで一度も雨の前で歌った事はありません」というと、皆笑ってくれ、なんだか神聖な魔法がかったような気分で歌ったのでした。
 こんなこともありました。「海はソダーデの住処」Mar e Morada di sodade というモルナを歌ったら、サン・ヴィンセンテ出身のスタッフの女の子が涙を流して言ってくれたのです。「ありがとう。私の親も兄弟も皆アメリカに住んでいるから、海は本当にソダーデの住処なの」。心を込めて歌った歌は、心で受け止めてくれる。そういう風に思わせてくれる出会いや会話がたくさんありました。どれも、今の私にとても大切な出来事です。

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カーボ・ヴェルデ。大西洋にぽっかりと浮かんだ島々。来るものは拒まず、去るものは追わず、島独特の宿命感に溢れたカーボ・ヴェルデ。海は優しく澄み切っていて、恨みを残さない。ただ、行ってしまった者の記憶と思いが優しい波と一緒に心を慰める・・・。だからモルナのリズムは「波」なのだ。ファドのように重過ぎず、ブラジルのようにパーカッシヴすぎない、その中間を行くのです。それはこの地の宿命。まさに海の波のよう。
カーボ・ヴェルデ・・・。温もりとジョークの中に漂うソダーデ、決して人を孤独にしない、情が深くて根アカな南方系サウダーデは、私の心にぐっと染みて、この国と人はより懐かしさをそそるのです。
たくさんたくさん学びました。深く感動をしました。会いたい人が大勢できました。
そう、ポルトガルで孤独になった私をいつも温かく迎え入れてくれたのはこの国の移民の人たちのモラヴェーザ(もてなし)でもありました。
ありがとう、ありがとう。カーボ・ヴェルデ。
そうそう、最後の日は、踊り子の女の子に、髪をアフリカ風のトランシーニャ(三つ編み)にしてもらいました。いたずらっぽくなって、とっても気に入りました。カーボ・ヴェルデのクレオール娘の元気をもらって・・・。
すっかりクレオールになったまま、ポルトガルへ、それから5日後には日本に帰国したのでした。
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# by miomatsuda | 2004-08-06 23:12 | ◆旅日記/Traveler's note