松田 美緒のオフィシャル・ブログ MIO MATSUDA's official blog
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<   2008年 01月 ( 11 )   > この月の画像一覧

「黒いオルフェを探して」
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 この映画に、私が出ているという噂をたくさんの人から聞き、やっと見てみました。
 確かに出ていました。しかも、「アトランティカ」のミクシング中。
 そういえば、歌手のマルコス・サクラメントが、フランスの監督を連れてスタジオに来て、大変感じのよい監督が「この場面を使わせていただけますか?」と丁寧にたずねてくれたことを思い出しました。「何の映画になるんですか?」と聞くと、「黒いオルフェのドキュメンタリー」とか言っていたっけ。そして、その年の手帳に、監督の名前を書いてくれた紙がはさまっていました。こうやって日本で見ると、なんだか感動します。ちょっとだけだったけど、嬉しいな。いろいろなアーティストのインタヴューも面白いし。

 「黒いオルフェ」は、高校の時に借りて観た映画で、こんな素敵な国ブラジルにいつか行ってみたいと夢見るきっかけをくれた映画でした。私のようにこの映画から夢をもらった人はたくさんいるのではないでしょうか。原作者のヴィニシウス・ヂ・モランエスは気に入らなかったらしいけれど、当時、あまり知られていなかったブラジルを美しい夢とともに世界中に知らしめたのは意義あることでしょう。なんといっても、監督のブラジルへの憧憬と愛情がしみじみと伝わってくる映画でした。

 この前、ブラジルで、「黒いオルフェよ、ふたたび」といったようなタイトルのミュージカル的なステージを見ました。そこではジョアン・リラがギターで出演していたのですが、ハロルド・コスタなど名優たちが集い、レイラ・ピニェイロやナナ・カイミ、リメイク版「オルフェ」で主演したトニ・ガヒードなどが、ヴィニシウスとトン・ジョビンの名曲を歌っていました。そのとき、"Se todos fossem Iguais a voce"を最後に合唱していたシーンが深く心に残りました。なんて美しい曲ばかりなんだろう・・・・!まったくあの時代の歌には夢が溢れているな、と思います。特に、ジョビンとヴィニシウスは人々の心の夢を詩的に音楽的に具現化する神様だったのでしょう。

 そういえば、私も撮影中に、監督から、「カーニヴァルの朝」を歌って、と言われて、カメラの前でアカペラで歌ったのになあ!採用されなかったので(笑)今後のライブで、心を込めて歌いたいと思います。この歌は、私が初めて覚えたポルトガル語の歌でもありました!!思い出させてくれてありがとう、オルフェ。
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by miomatsuda | 2008-01-27 23:26 | ◆日々雑感/Notes
Musica Lusofona
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ヤヒロさんと。

24日、プラッサオンゼのライブが終わり、ほっと一息。新曲ばかりで、初顔合わせのメンバーで、緊張しました。鬼怒さんとはいつも即興ばかりできちんとリハをしてやるのは実は初めて。憧れのヤヒロさんとも今回アフリカつながりで一緒にできてとても嬉しいです。
これからどんどん合わせてトリオの音をつくっていきたいものです。
ゲストの有希ちゃん、Maiaありがとう。
特別なライブに来てくださった皆さん、ありがとうございました!

以下、やった曲たち。

1st
Por do Sol→ Tiyisso Djaha (モザンビーク)
Muxima(アンゴラ)
Pitanga! (オリジナル)
Madiya Kandimba(アンゴラ)
Foi Deus(ポルトガル)
Lua(カーボヴェルデ)

2nd
詩 Cais -Manuel Lopes-(カーボヴェルデ)
詩 Poema de Sete Caras -Carlos Drummond de Andrade- (ブラジル)
Naufragio (ポルトガル)
詩 Quando Surges na Noite -Geraldo Bessa Victor- (アンゴラ)
Moreno de Perola (オリジナル)
Kwaxi Mambemote (サントメ イ プシンシペ)
Meu Malaca(ブラジル)
ゴンドラの歌
Se Todos Fossem Iguais a Voce(ブラジル)
Saiko メドレー  (カーボ・ヴェルデ、ブラジル)

Las Golondrinas(アルゼンチン)

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今日は東京から京都に帰る車に便乗させていただき、中央道を通って帰ってきました。諏訪湖が凍っていて美しかった・・。あそこのインター、温泉もあるのです。入ってないけど!
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by miomatsuda | 2008-01-26 20:28 | ◆日々雑感/Notes
明日のライブに!
強力な女性二人が友情飛び入り出演してくれることになりました。
一人はMAIA!もう長いつきあいの彼女はフランスの詩人ピエール・バルーさんのご息女で、とても久しぶりの共演です。エネルギーの塊のようなこの人はフルートと歌と踊りで参加してくれます。
そして、もう一方は、バイオリンの有希ねえこと、江藤有希さんです。最近プラッサライブではいつも一緒ですが、今回は即興多め。情感をたっぷり弾いていただきます!
昨日はリハーサルでした。本番、とても楽しみです。踊れますよ!!
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by miomatsuda | 2008-01-23 09:33 | ◆日々雑感/Notes
古代の都で思ったこと 正月歴史探訪 その四

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 ご神木

 紀の国の那智の後は、熊野川沿いの街道をのぼり、三重県を通って、奈良に行きました。車でも6時間くらいの旅。徒歩で行ってみたいという思いが揺らいでしまいました。奈良は昔からロマンを掻き立てられる場所でしたが、今回行って、やはりそれは古代からの国際性のためだろうと思いました。
 日本の歴史は世界史から見るととても新しく、ローマ帝国が滅んだ頃、まだ弥生時代くらいなので、四方八方から海の道を通って、今知られているよりももっとたくさんの種類の人たちが遠方の秘術をたずさえて来ていただろうと思います。奈良はそんなダイナミックな交流の都で、当時の人たちはとても開けた国際感覚を持っていたのだろうと思います。そして、発想のスケールの大きさは、大仏様や運慶の仁王像にうかがえます。忍術も、そんな貪欲に外来のものを吸収していく時代、新たに伝わった術(密教の法など)を吸収して成立していったのでしょう。
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(写真は熊野)

 長くなりますが、言葉についてちょっと思ったこと。

 飛鳥(あすか)、斑鳩(いかるが)、春日(かすが)、桂(かつら)など大和の名前は、どんなふうに発音されていたのでしょう。Aska Ikarga, Kasga, Katzra と、Uの母音が強く発音されなかったんじゃないかと勝手に思います。また吉野という地名。日本全国に広がっていますが、当時はどこにアクセントがついていたのかしら。Sの音はシだったのか、スィだったのか・・。古代大和の人に会って、どんな言葉を話していたのか聞いてみたいものです。
 
 日本語は、私が外国人だったらまず勉強しないでしょう。ものすごく複雑な言語だと思います。なぜこんなに複雑なのか。長い歴史の中で様々な言語が混じりあってできたからだと思います。先住民A,B etcの言葉、渡来人A,B,C,D etcの言葉・・。今、ポルトガル語とアフリカ系の複数の言語が混ざったクレオール語の歌を聴きながら思うのは、日本語はクレオール語と同じように出来てきたのじゃないかということです。一番始めのころ、大和朝廷が言葉をひとつにまとめるためにきっと異民族の言葉を制して、彼らの言葉を強要したのじゃないかと思うのですが、それはポルトガルなど植民地宗主国がやった手と同じです。
 たとえば、カーボヴェルデという国はもともと無人島で、そこにポルトガル人がアフリカのいろいろな部族をまぜて連れてきました。彼らが一致団結できないように、違う部族を混ぜたのです。それでポルトガル語を話すようにしましたが、きちんとした語学研修なんてないので、まずは奴隷たちのコミュニケーションから始まります。公用語のポルトガル語を真似ながらいろいろな部族の言葉を混ぜて使ってコミュニケーションをはかるうちにクレオール語ができてきたのです。カーボ・ヴェルデでクレオール語を聞くと、とてもまっすぐに心に伝わってきます。飾りのない単純化された言語だからなのか、生き残りをかけて作られてきた言葉に強い言霊が宿っているからなのか、どこか感情を揺さぶる力があると思います。
 そんなふうに混沌からクレオール語が生まれたのと同じように、様々な民族が雑居していた古代日本でも、言葉の問題はなかなか大きなものだったのではと思います。だから、日本語という複雑極まりなく、かつ奥深い言語を思うと、当時一生懸命に言葉をひとつにしようと奮闘し、漢字をあてはめ、発音をただし、どうもそれだけでは言語が表記できないので、複数の音読みと訓読みを次々と付け足していった奮闘がうかがえるようです。古くから外来のものを受け入れてきた文化は、そんな混じりあいのクレオール的な時代から始まっている気がします。

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 今年の新年は、いろいろな神様を拝みました。野崎観音のインド伝来の仏様から熊野大社の神様そして観音様、それに鴨族のヤタガラス。奈良では大仏様。そして、奈良の帰りに寄ったのは、お友達のポルトガル人神父さんがいるカトリック教会。こんなにたくさんの神様に同じように敬意を表する八百万信仰は日本ならでは。
 
 日本史のアウトロー、忍者から始まり、古代日本、はてはクレオール語のことまで考えたお正月でした。
 読んでくださった皆さん、ありがとうございました。直感的な解釈が多いですがご了承ください。
 
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これから始まった旅でした。
 探訪の旅の体験を踏まえつつ、明日からは東京。
 CPLPの準備に励みます!!
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by miomatsuda | 2008-01-15 23:15 | ◆日々雑感/Notes
那智の滝とヤタガラス 正月歴史探訪 その参
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山村あらわる。
 深い山のなかに突如として現れた熊野大社。古くから修験者の聖地として開けていたこともあり、美しい造形美と大いなる自然が見事に共存して、洗練された都のように感じました。聖なる山のエネルギーを思いきり吸い込みました。合掌。
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 修験道の開祖と呼ばれ、忍術とも関わり深いとされる役小角(えんのおづの)は仏教伝来の頃、孔雀明王の術を学び、数々の妖術をつかい、鬼までつかったといわれていますが、彼は那智の滝で修行をしたといいます。
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 熊野の地は、天孫族の神武天皇勢力が九州地方からやってくる際、八咫烏(ヤタガラス)の姿をした鴨族の始祖、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が熊野の地まで案内したと日本書紀には書かれています。大和朝廷を建国するのに協力したということのようです。鴨氏は、出雲族と関係が深いとされ、大和という国家ができあがる前から住んでいたらしく、鴨族というだけで全国にたくさんその史跡があるので、きっと同じ鴨でもいろいろな部族に分かれていたのでしょう。
 天武天皇のスパイ御色多由也も鴨族で、その頃から、火や毒薬を操る忍者らしきことをやっていたようです。いったい、この忍術はどこから始まったのか。それは日本列島ではなく、朝鮮半島、中国大陸、そしてシルクロードを越えてはるか中東やインドの歴史とも関わってきそうです。

 
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by miomatsuda | 2008-01-15 22:52 | ◆日々雑感/Notes
紀の国の海 正月歴史探訪 その弐
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紀の国の海を見たいと、休日に車で紀伊半島をぐるっと旅してきました。黒潮の海は、冬と思えないほど暖かで、勝浦のマグロも美味しかった!戦乱を逃れて四方八方から海を越えてきた渡来人たちがこんなに過ごしやすい場所にたどり着いたら、それは嬉しくて仕方がないでしょう。また、ここは海の民、水軍の活躍の場でもありました。漢字を無理やりあてはめたような不思議な名前の町がたくさんありました。
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 忍者のルーツを遡ると、日本書紀以前の古代民族「鴨族」につながるといいます。鴨族は稲を日本列島に持ってきた人たちと言われ、弥生中期に今の金剛山,葛城山の麓に定住して水、田の神を祭っていた部族。京都にはカモという地名が多くあって、鴨川はもちろん、下鴨神社や愛宕山など、鴨族と関係の深い場所がたくさんあります。やがて、騎馬民族系の集団が大人数で移動してきて、鴨族は山城のほうに追われ、今の伊賀あたりに隠れ住んだともいわれています。真偽のほどは定かではないですが、当時は異文化の部族同士の争いはすさまじいものだったのでしょう。当時は呪詛、祭事が今よりももっと力を持っていて、鴨族はそんな術に長けたと言われ、陰陽道の始まりも鴨族と言われています。忍者には水の在りかを知る方法がたくさん伝承されていますが、それも水と関係の深かった鴨族の名残でしょうか。いったいどんな顔をしていたのでしょう!そしてどんな言葉を話していたのかな。
 さて、それから勝浦の海からのどかな山道へと入り、那智の滝へ。
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by miomatsuda | 2008-01-14 20:23 | ◆日々雑感/Notes
忍者から始まって・・・。正月歴史探訪 その壱
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 今年は、コタツにみかんという日本的なお正月を何年かぶりにゆったりと過ごし、武家言葉がうつるくらい時代劇ばかり見ていました。また、足首を痛めたこともあり外出できないので、本の虫になっていたのが、司馬遼太郎の短編「下請忍者」を読み、忘れていた歴史ものへの熱が突然蘇りました。忍者というと、子供の頃とても憧れていたおぼえがあります。闇夜に音もなくやってきては様々なまやかしや忍具をもちいて人の眼に触れないよう任務を実行する技能集団。常人には考えられない動きと技はもちろんのこと、「それがしは○○の○○家の○○、○○と申す。お手合わせ願いたい」などと名乗ることもなく、侍の法度や大名家に縛られず、技を売る一匹狼たち・・そんなマージナルなイメージがどこかジプシーや芸人魂とも通じるようで憧れていました。
ところがどっこい、忍びには忍びの厳しい現実がありました。今でいう斡旋業者のような上忍とそれに雇われる下請け人の下忍のシステムが・・・。

 戦国の世、河内の山里などの貧しいところからさらわれたり売られた子供たちが小さな頃から伊賀の地侍(上忍)の家で過酷な訓練を受け、(水の中に5分頭をつけられたり・・・)それに生き残った者だけが仕事を受けられる下忍となったそうです。それでも人によって仕事の向き不向きがあり、動きがあまり速くない者は(私ならこれにされたかも)変装して町で嘘の噂を流し、民心を煽るなどの仕事をしたらしい。春と夏は小作人として田畑を耕す下忍たちは、秋と冬、戦さが寒くてやりにくい時期に取引先=大名家に送られ、スパイや盗み、毒殺などで暗躍し、その応酬合戦は「冬の陣」と呼ばれたそうです。しかしながら、その稼ぎは微々たるもので、いくら大きな働きをしてもほとんどは上忍の懐に入り、下忍は家さえもてない・・・。下忍は上忍と話すときは家にあがれず、白砂の上でお達しをきく・・・。老いた下忍は惜しげもなく使い棄てにされる・・・。
 司馬氏が描く下忍の暮らしの現実に驚いたことから始まって、伊賀、甲賀の旅、やがては忍術の始祖と呼ばれる役の行者の修行した那智の滝まで足を運び、ストーリーは日本書紀以前の古代民族鴨族にまで広がるという壮大な歴史ロマンに正月早々から浸ってしまいました。
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隠し刀!

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手裏剣!

 ちなみに東京の「半蔵門」は、伊賀の上忍、服部半蔵が徳川幕府が築かれるときに、家康に招かれ、200人の伊賀者を連れてやってきた場所。江戸にやってきた下忍も妻を娶り、子を為し、当り障りのない仕事を与えられながらシステムの中で侍化していったといいます。それでも、司馬氏が描くように、もと忍者の侍は奇妙な人たちだったに違いありません。足音をたてずに歩く侍とか、非礼な仕打ちにニヤリと笑って何日か後に陰湿な方法で報復する侍とか・・・。そんな人たちを想像するとおかしくもあります。
 
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芭蕉生家。

松尾芭蕉も伊賀の生まれで、あれほど長い期間旅を続けられるお金があったということは、どこかのスパイだったのではという話があります。枕の中から護身用忍具が見つかったり。もしも翁のあの俳句が何かを告げる暗号だとしたら、忍びとしては一流のエリートだったのでしょう。
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by miomatsuda | 2008-01-14 16:01 | ◆日々雑感/Notes
CPLP
 Comunidade dos Paises de Lingua Portuguesa ポルトガル語圏諸国 (ポルトガル、ブラジル、アンゴラ、モザンビーク、カーボ・ヴェルデ、ギネ・ビサウ、サントメ・イ・プリンシペ、東ティモール)の歌を歌うというブラジル大使館のイベントのために、各国の歌を猛特訓中です。聞いたことがない国がたくさんあるかもしれませんが、みな、ポルトガル語を公用語とする旧ポルトガル植民地。ヨーロッパ、アフリカ、アジア、インディオ、たくさんの文化を内包するポルトガル語圏の世界は、大航海時代に繁栄をきわめたポルトガルの誇りを込めてLusofoniaとも呼ばれてきました。とはいっても、ポルトガル語のほかに無数にある言語。また、無人諸島カーボヴェルデに連れてこられた奴隷の人たちがポルトガル語を強要され、生き残りと共存のために生まれたミックス言語、クレオール語。これがとても心に響いて魅力的です。「SAIKO」という歌はクレオール語です。
 それでもまだほとんど知られていない世界。リスボンとカーボヴェルデにいたときの経験を生かして、どうせならとてつもない音楽の旅になれば、と選曲しています。カーボ・ヴェルデの音楽は、サン・ヴィンセンテ島のモルナやコラデイラはセザリア・エヴォラで有名だけど、最近Mayra AndradeやTchekaなど若手のアーティストをたくさん生んでいるサン・ティアゴ島の音楽にも挑戦です。アンゴラ、モザンビークなどは東西南北で言葉が全く違うので、どれを歌うか迷うところ。歌詞がないのも多いし・・。去年、モザンビークの歌を覚えて歌ったら、大使が北の人で全くわからなかったということもありました。それでも、わが国にこんな歌があったのか、と喜んでもらいました。東ティモールは大使館から音源を送っていただきました。初めて聞くのでとてもおもしろいです。ブラジルとポルトガルもおびただしい数の名曲の中からどの曲を選ぶか、なかなか迷うところ。そして、今回は各地域の生んだ詩人の詩をご紹介できたらと、これもまた勉強中。ポルトガルからブラジル、アフリカ、アジアへの海の道をたどって、道中の豊かな音楽の世界が垣間見られるようなライブにしたいなと思っています。もちろん、鬼怒無月さんとヤヒロ・トモヒロさんと一緒なので、すごく面白いことになりそうで、今からわくわく、楽しみです。
  まずは1月24日のプラッサ・オンゼで第一弾をやります!乞うご期待!
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by miomatsuda | 2008-01-07 00:15 | ◆日々雑感/Notes
歴史の糸。
  
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 よく晴れた今日は、京都に来ている祖父母と一緒に、ロシア料理レストラン「キエフ」に行ってきた。ロシアとの国境にも近い中国の東北地方、ハルビン育ちの祖父が「60年ぶりにロシア料理を食べたい」と言ったからだ。このお店は加藤登紀子さんのお兄さん、加藤幹夫さんが経営されている。登紀子さんといえば、次女で歌手のYaeちゃんには東京に初めて行った頃、おうちに泊めてもらったり、とてもおせわになって素敵な思い出ばかりある。今はたくましいお母さんで、大地に種を植え歌っている人。とても尊敬している。
 祖父とハルビンの話になって、そういえば加藤家はハルビンにいらっしゃったということを思い出した。幹夫さんと祖父の間で、当時のハルビンの話題で盛り上がる。私の曽祖父は中国語の通訳、加藤さんのお父様はロシア語通訳で、先祖同士きっとどこかで会ったことがあるだろう、と話しながら、途方もない歴史のダイナミズムを感じた。
 激動の時代のさなか、戦前に引き揚げた人たち、引き揚げることかなわず残って大変な人生を生きている人たち、シベリアから戻ってきた人たち、戻れなかった人たち、失われたたくさんの命・・。そんなすべての人たちの人生や選択、生きた軌跡が今まで続いて、私たちにつながっているんだな、と思わずにいられなかった。まぎれもなく、私たちは地球の歴史のなかに生まれている。
 今、ここに生きているってなんてすごいことなんだろう。大切に生きなきゃ。


 そう感慨にふけりながら、夜、今日も見てしまったのが「のだめカンタービレ」。音楽と向き合ううえで、とても学ぶこと多く、いろいろ考えた。私も頑張ろう!どんどん挑戦します!大切に歌わなきゃ、ね。
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by miomatsuda | 2008-01-06 00:40 | ◆日々雑感/Notes
幸運の虹
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自然現象だとわかっていても、大空に浮かび上がるその姿に出会うとき、感嘆せずにはいられない、美。
近所のおばさんも「あらあー、こんなところに虹が出るなんてなかなかないわあ。幸せになれるわヨ」と拝んでいらっしゃった。
私も合掌。
やがて、ふわふわと空に溶けていく虹が、心に色を残してくれた。
こんな自然界の魔法を見るととても幸せな気持ちになる。
ありがとう、虹。
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by miomatsuda | 2008-01-04 20:06 | ◆日々雑感/Notes