鼓舞
2007年 12月 16日
「越境」という名のもとに組まれた演出はとても斬新で、私と同年代の鼓童メンバーの皆さんの溌剌とした素顔や、はっとするような新たな面が引き出されていて、とても魅力的だった。それにしても、鍛え抜かれた技術と、とことん太鼓とつきあってきた皆さんの表現の幅はすごいなあ、と感じ入ってしまった。太鼓だけで、怒涛のように鳴り響いたり、すすり泣いたり、波打ったり、話したり、笑ったり、表現がここまでできるのか・・。「越境」というだけあって、新たな試みがたくさん。紅色の時広衣装をまとった小島千絵子さんの太鼓打ちはぞくっとするくらい官能的でもあり、舞踏が加わった「モノクローム」では今までにない心理表現がなされていた。
そして、今回は、私と同い年の石塚充さんがクライマックスの大太鼓を叩いた。途中で何かが乗り移ったかのように叩き始める彼と、太鼓に鍛えられた肉体の動きを見て、なんて素晴らしい挑戦をしているんだろう、と感動した。まったくの想像だけど、大太鼓を打つ人は、太鼓に身体を造られ、毎日太鼓に向かい、太鼓が自分の呼びかけに応えてくれるまで呼び続け、魂と身体と太鼓が一体化していくのだろうか。そして、その鍛えられた身体をさらし、ただ一心に太鼓と向かい合っている・・。舞台の上で、観客の前で、少しずつ、自らの魂を解き放つそんな場所に居合わせた気がした。これからどんどん挑戦を重ねていくんだろうな。
脱線するかもしれないが、私が大学生の頃ファドに弾かれたのも、そういうところだったかもしれない。じっと目を瞑り歌と向き合い、感情を解き放ち、かつ感情から解き放たれる瞬間がファドだと思っていた。フリージャズのサックスの人がそういうふうに吹いているのを見て、それも同じことだと感じてもいた。アマリア・ロドリゲスも「ファドは形ではなく、起こるもの。感じるものだ」そう言っていた。そんなことを思い出した。
堀つばささんの「魁華」も、いつ見てもすごい挑戦だと思う。一度落ちて大怪我したというのに、一回ごとに身体を張って演じている。それを見て、私も何か身体を張らなくては、と思ってしまった。そのくらいの気持ちで挑戦しなくては!そう、つばささんに言ったら、「うーん、歌手は違う意味で身体張ってるもんね。まずは、身体出してみたら!!(笑)」と言われた。そ、そ、そうかあ・・・(笑)!それも考えてみよう。一度、佐渡の鼓童村で、研修生の人たちに混じってトレーニングをさせてもらおうかと本気で考えている。
すがすがしい挑戦を見て、とても刺激を受けた。そして、懐かしい皆さんに会えて嬉しかった!
また写真撮るの忘れたよ・・・。