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Cabo Verde 2005

カーボ・ヴェルデへ再び ~2月の旅~
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「もう一度、私はこの海をわたる。
心の翼にはどんな飛行機もかなわない!
赤道に近づくにつれ、海がもっと青くなる。
海が青いぶん、情熱は強くなる。
息を吸って吐いて、準備しよう。
一体どんなことが待っているのか。
天のご加護あれ!」 

サル島

「無限の空と平らな大地が、この心におおいかぶさった。
塩の島。不思議な巡り合わせ。」

空港に着いたのは午前2時。あてがない私が本能的に声をかけたのは、ギターを持ったいい人を絵に書いたようなアントニオ。6年ぶりに帰国した彼を待っていた友達はスキンへッドの弁護士、アマデウ。「こいつが帰ってきたから、祝杯をあげるんだ。エスパルゴのミュージックバーにいくから一緒にくる?」こう誘われ、どうせなら朝まで時間をつぶそう、と同行。行った先では知っているミュージシャンが弾いていた。「なんだー!君か!歌ってってよ」と到着後すぐモルナとコラデイラの”Saiko”を歌う。
明け方、豚足のスープとカッチュッパ・ギサーダを食べた。最高の味だった。
翌朝、サンタ・カタリーナで、一緒に仕事をしていたクレオールの踊り子たちと再会した。まるでついこの前、別の島に帰っていった仲間のように迎えてくれた。
ずっと頭の中で計画していた”Saiko”のビデオクリップのシーンを撮ろうと、クレオールのダンサーたちにブラジルのバザールで買ったひらひらのバイアーナ服を着てもらい、浜辺で踊ってもらった。私の歌う”Saiko”が大音量で響く。男の子のダンサー、セヴェリアーノとエジルソンも手伝ってくれる。ああ、よかった、夢がかなった!あなたたちの笑顔が撮りたかったの!!
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サン・ヴィンセンテ島

「宝石の海はまるで液体の感じがしない。船が休む寝床の毛布のよう。
この港で、私は休息を得た。長年知っているかのような言葉と褐色の人たちの中で。」
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前にハコバンで歌っていたホテルは4つ星なので、自費で泊まるわけにもいかないし、どこかに泊まろうと思って、友達から聞いていたペンションに行ってみた。その名も”Sodade” (saudade)。ブラジルから行ってみると、やはり値段が数段高い。どうしようかと迷っていたら、どっしりとした風格の女性が入って来た。「オーナーの方ですか」と尋ねると「皆そういうけど」と答える。素晴らしいベランダがある3階の部屋は70ユーロする。いろいろな交渉の結果、彼女はその部屋を地下室の部屋の値段(24ユーロ)で貸してくれたのだ!
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夕方、もと漁師でこの島に30年暮らす安部さんの家を訪ねた。彼のことは、カーボ・ヴェルデの友達何人かに聞いていた。空手のアベ、として有名であり尊敬されていた。ルイスというギタリストの友達に同行してもらい、安部さんのおうちを訪ねたら、奥さんが出て、家で待たせてくれた。突然帰宅を待っていた私に、さほど驚く様子もなく(ポーカーフェイスなのか?)、ひょうひょうとした感じの安部さん。向こうも、ドラマーのテイから私のことを聞いていたらしい。
この安部さん、若いときに宮城の漁村を小さな船で出港し、船がカーボ・ヴェルデで難破したとき、運命がきまった。カーボ・ヴェルデ独立後も、島に居続けて、空手を教えたりしながら食いつないで、時々日本に帰りながらも、素敵な奥さんと結婚して4人もお子さんを育てている。まさに数奇な人生を淡々と語る。どんなに商売で成功しても、また海に漕ぎ出さずにはいられなかったのは、海の男の本能だろう。なんだか初めて会ったようには思えない縁を感じた。

 
今回の使命は、あの歌"Saiko"の作者Ti Goyの息子に会うことだった。
そしてなんと、到着直後サル島で出会ったあのスキンヘッドのアマデウが、セザリア・エヴォラのプロデューサーでこの楽曲の権利を持っているジョゼ・ダ・シルヴァの顧問弁護士だったのだ。そんなわけで話も早い。TI Goyの息子ジョゼさんにも会うことも出来た。空港でアントニオに声をかけたあの直感は、やはり宇宙的なものだったのだろうか。
ジョゼさんと。
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“Saiko”はやはり60年代に大ヒットしたらしい。ねじりはちまきの日本の海の男たちが、この歌をクレオール語で一緒に歌っていたとしたら、なんて素晴らしい話だろう!こればかりは聞き取りでしかわからない話だ。マグロ漁船の漁師さんたちとカーボ・ヴェルデ人との文化交流の話は、本当に貴重な話。
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皆が少しずつ建設していく家々を夕陽が染める。ミンデロの夜は今日も盛り上がる。コラデイラとモルナのリズムは夜が深まるころに、ドラマとなって、踊らせ、そして泣かせる。少ない和音の中の豊かな感情、酔うほどのグルーヴ。酔っ払って宿「ソダーデ」に帰り、ベランダから暗闇を見つめる。たくさんの星。モンテ・カーラの山。なぜだろう。こんなに懐かしいのは?


サント・アンタン島

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「一番高い山の頂から見る海は、島をぐるっと囲んでいた。
すでに空との境界はなく、私も宙にとけていくようだった。
高い頂まで敷き詰められたカルサーダ(石畳)は、島の男女の労働の証し。
今日も手作業で敷きなおされる民の道。
途中の集落で、まっすぐな笑顔の女性が、乗合バスの中の女性に、大きな野菜の束を手渡した。かぐわしいコリアンダーの香りが車内に滑り込んだ。幸せが入り込んだ。
サン・ヴィンセンテ島に働きに出る友人に渡した、家で採れた野菜。カーボ・ヴェルデでは本当に貴重な野菜。この国の野菜のほとんどは、雨が比較的多くて緑が茂るサント・アンタン島で栽培されているからだ。これからこの野菜の束は、小さな船に1時間揺られ、サン・ヴィンセンテの港に着く。湿ったサント・アンタンの空気を運んで・・・。
 コリアンダーはまだ香っている。海は、もうすぐだ。」 

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この島に行ったのは、前回とても行きたかったけれど行けなかったため。この島はグロッグ(地酒)とバナナが有名。サント・アンタンのグロッグは最高の味で、カシャッサよりも好きだったりする。あと、ポンシュといって、蜂蜜と混ぜた甘いお酒もあって、これも最高だ。
かといって、サント・アンタンに友達がいるわけもなく、とりあえず日帰りで行こうと思い、サン・ヴィンセンテから早朝船で渡ることにした。30分早く行きすぎて、フェリーではなく、小さな乗合舟に乗ることに。牛がモーーーッと鳴いているのが聞え、行ってみると、大きな網で吊り上げられ、その船に乗せられている。すごい状態だ。
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一人で乗船する東洋人の私を皆じろじろ見るが、それも始めのうち。すごい揺れに吐くおばちゃんもいる。私は船のへりに頭をあずけ、ゆりかごのように揺られていた。白んでいく海がまぶしかった。

 夢のサント・アンタン。着いてすぐに、乗合バスに乗った。あてなんてない。グロッグで酔っ払ってへろへろだったよ、という歌があるリヴェイラ・グランデに行ってみたかったので、そこ行きのに乗った。すごい地形だ。がたがた揺れる車は、石畳の道をすごいスピードで走る。緑の島。ここはカーボ・ヴェルデで唯一の豊かな恵みの島だ。子供たちもおばあさんもすごい坂道を何キロも上り下りする。いくつかの集落を通り過ぎた。空気が澄んでいる。標高何メートルだろうか。
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 やっと島の向こう側の海が見えた。リヴェイラ・グランデだ。しかし、寝不足の疲れの中、少しぎらぎらするこの街を一人でほっつき歩くのは少し気が引けた。だから、もう少し乗っていることにした。次の街はパウル。なんとも平和な村に、気持ちがほだされて、バスから降りた。運ちゃんが、一つしかないレストランを教えてくれ、その前に止めてくれた。ここが運命の場となった。 
 まず朝食をとろうと、店の人に声をかけると、青年が現れ、楽にしてていいよ、と大きなベランダに連れて行ってくれた。岩山の上に、聖アントニオ像が立っている。ああ、なんて平和。
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 私が歌手だとかそういう話をしているうちに、カチュッパが出てきて、その味に舌鼓をうつ。そして、CDが聴きたいというので、アトランティカを渡すと、さっそくかけ始めた。何分か、最高の風に吹かれて夢のバナナを食べていると、店主らしき人がやってきてこういった。「あなたのことはもう知っています。国営ラジオで歌っているのを聞きました」えーーー!という驚きである。しかもその放送は、リスボンで歌ったあのときの放送。その声が忘れられなかったと言ってくれた。

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アルフレッド
「日帰りで帰るなんてそんなこと言わないで、一泊この島にしていってください。島を案内したいんです」その上、この村には日本人が仕事でいるという。大変興味を惹かれたので、どうしようかと思っていると、さっそく店主のアルフレッドは、私のサン・ヴィンセンテの宿ソダーデに電話をかけているではないか!なんとあの店主のおばさんとは同じブラヴァ島で幼馴染だという。その上、サル島に帰る飛行機のことをいうと、カーボヴェルデ航空に電話して、予約を変更までしてくれるではないか。あれあれ、といううちに泊まっていくことになってしまった。
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カーボ・ヴェルデの国全体の電話帳 薄い!!

 クレオール語ではポルトガル語と違って、名詞の前につく数詞はすべて男性系になる。”Um japonesa” というアルフレッドの言葉に、島にいる日本人は男性だとばっかり思っていた。しかし、現れたのは、カヨさんという女性だった。なんて驚き!しかし、これだけはない。彼女はその前の晩に、あるミュージシャンから私のことを聞いていたというのだ!しかも、彼は、去年の7月、ブラジルのミナス・ジェライス州の音楽祭で共演したCordas do Solというバンドの人だったのだ!彼らには会いたい、会いたいと思っていたが、連絡先もわからず、しかもどこに住んでいるかなんてわからなかった。そのメンバーの二人が、なんとこのカヨさんの隣の家に住んでいたのだ・・・。バンドリーダーであるアルリンドはリヴェイラ・グランデに住んでいたので、訪ねた。まったく信じられない話。グロッグにポンシュになんでもありの夜だった。
 
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Cordas do Solのメンバーと。
 このカヨさんがまた、すごい女性だ。私たちは意気投合して、夜は彼女の家に泊まらせてもらった。アメリカに住んでいて、平和の活動の一環としてこの島にきたらしい。彼女はクレオール語も上手に話す。本当に人生の中であまりないような出会いだった。
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 翌日、アルフレッドが島を車で案内してくれ、グロッグの工場にも連れて行ってくれ、私は5本ほど買ってしまった。最高だった!!1本はリオのカルリーニョスのスタジオにおいてある。
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昔ながらのグロッグ工場

翌朝、また例の乗合バスで港へと2時間半かけて旅した。
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馬が水浴びする海
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「私の魂は、深い藍色の海に溶けていく。
海はその大きな腕で抱きとめてくれる。
この島の人たちは、その瞳に悠久の海をたたえる。
おだやかで深い青を。
ありがとう、モラベーザ。
この海に吸い込まれ、抱かれて、私は子供に戻る。
人々の生活の速度に、呼吸は落ち着いていく。
モラベーザの海。ソダーデの瞳。
ありがとう。」
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「濃い藍色の海を渡る。赤道から少しずつ離れ、海はしだいに青白くなっていくだろう。海が青いぶん、情熱は強く、太陽が真っ赤に港を染めていた。切なさは、サウダーデは、出会いから生まれる。旅立ちのとき、また自由になる私は、新しいサウダーデを連れていく。海の色と塩の匂いと一緒に。
やがて、海は薄い青になり、太陽はその目を閉じるだろう。私のサウダーデもこの胸で休む。甘い疼きは優しい記憶になる」
当時の日記より。
by miomatsuda | 2005-02-22 23:29 | ◆旅日記/Traveler's note

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