韓国ツアー記 その1
2013年 08月 15日
7月に約2週間、国際交流基金ソウル日本文化センターのお招きで、韓国へ行ってきました。
韓国のお友達はたくさんいたし、お隣の国なのに、韓国へ行くのは15年ぶり。歌うのはもちろん初めてです。
それまでの何ヶ月か、ソウルの基金担当・武田さん&辛さんと入念にやりとりして、歌う曲を決めて、韓国語の歌を覚えて、韓国語の先生もご紹介いただいて、もちろん鶴来さん&亮さんとのトリオでのリハーサルも入念に、準備して参りました。
そして、ツアーは、大成功でした・・・!!
訪れた先で本当に熱くもてなしていただきました。韓国のお客さんは本当にノリがいい!今回、「日本のうた」トリオとしては初めての海外公演でしたが、どんな言葉で歌っても、しっかりと歌の内容をうけとめてくださいました。
そんな韓国ツアーの様子を報告します。
康津
初日の康津(カンジン)は、全羅南道の南にある小さな郡。ものすごい田舎とお聞きしてみたのが、行ってみると、高麗王朝の最も重要な陶磁器の釜があった里でした。(毎年、陶磁器フェスティバルが開かれています)
岩山と青く茂った水田、美しい天然の干潟、ふっと古代にタイムスリップしそうな場所でした。
大きな干潟の海にかかる「揺れ橋」にて
宿泊先は山の中のおうち、一人一軒!ワンコもきた。
コンサート前夜、今回の公演の立役者、康津郡の副郡主が、美しい伝統的なお屋敷で宴を開いてくださいました。副郡主は、ちょうどツアー前に日本の政治家の発言問題など紆余曲折があったのに関わらず「こんな時だからこそ日韓友好のため公演をして、成功させよう」と、熱烈に取り組んでくださった御仁です。
いらっしゃった皆さんは、九州の親戚みたいな、なんだか懐かしい熱い方達ばかり。お料理もマッコリもお話も皆さんも最高に素敵でした。
美しい青磁の器をメンバー皆にプレゼントしていただきました。
翌日のお昼は、またまた趣ある伝統的な館、四宣斎。
李王朝時代の偉大なる学者でカトリック教徒であったため、中央からこの地へと左遷され、18年間この地で暮らした丁若鏞(ジョン・ヤギョン)にゆかりある家です。彼はこの康津の地で、600冊の本を書き、学問を完成させたといわれます。彼が滞在したことで、都の貴族の食事が伝わり、地元の料理が洗練されていったそうです。
海藻チヂミ!
コンサート会場は小さな町なのに、700席以上ある立派な康津アートホール。
通訳の田さんとお話を入れながら、進行。韓国の歌をうたうと、やはりとても盛り上がりました。
今回、康津の方からぜひ歌ってほしいとリクエストされていた「モランドンベク」という歌は、康津の郡の花である牡丹と椿が詩のなかにあらわれる、とてもよい歌です。
椿はもう散ってしまったけれど 高野に雪が降れば
優しい顔の椿娘が 夢の中で微笑むよ
この世は風吹き はかないところ
私は とある海を さまよう さまよう
どこかの砂浜で さみしく さみしく 眠りについても
もう一度椿が咲くまで 私を忘れないでくれ
(2番の歌詞の訳)
寅さんの歌、と呼んでしまうほど、流浪の心を歌う歌です。く〜。
(終演後に、サイコーなお坊さんたちと)
そして、翌朝。郡庁へ寄るために、一行は少し早めに出発。
なんと、康津郡の広報大使に任命されてしまったのです!
郡主より、ありがたき任命状をいただき、これからこの康津の素晴らしさを世に伝えるため、「モランドンベク」を歌い、広報をしましょう、と決意。
もうすっかり親しみ深い皆さんにお礼とお別れを言って、全州へと出発したのでした。
そして・・・。
その時の写真と新聞記事が印刷された立派なアルバムが3日程前に、康津郡から届きました。
感動が蘇りました。
もうすでに、とても懐かしいところ&人々です。
広報大使として、また行かなくてはいけませんね。
続く。
韓国のお友達はたくさんいたし、お隣の国なのに、韓国へ行くのは15年ぶり。歌うのはもちろん初めてです。
それまでの何ヶ月か、ソウルの基金担当・武田さん&辛さんと入念にやりとりして、歌う曲を決めて、韓国語の歌を覚えて、韓国語の先生もご紹介いただいて、もちろん鶴来さん&亮さんとのトリオでのリハーサルも入念に、準備して参りました。
そして、ツアーは、大成功でした・・・!!
訪れた先で本当に熱くもてなしていただきました。韓国のお客さんは本当にノリがいい!今回、「日本のうた」トリオとしては初めての海外公演でしたが、どんな言葉で歌っても、しっかりと歌の内容をうけとめてくださいました。
そんな韓国ツアーの様子を報告します。
康津
初日の康津(カンジン)は、全羅南道の南にある小さな郡。ものすごい田舎とお聞きしてみたのが、行ってみると、高麗王朝の最も重要な陶磁器の釜があった里でした。(毎年、陶磁器フェスティバルが開かれています)
岩山と青く茂った水田、美しい天然の干潟、ふっと古代にタイムスリップしそうな場所でした。
大きな干潟の海にかかる「揺れ橋」にて
宿泊先は山の中のおうち、一人一軒!ワンコもきた。
コンサート前夜、今回の公演の立役者、康津郡の副郡主が、美しい伝統的なお屋敷で宴を開いてくださいました。副郡主は、ちょうどツアー前に日本の政治家の発言問題など紆余曲折があったのに関わらず「こんな時だからこそ日韓友好のため公演をして、成功させよう」と、熱烈に取り組んでくださった御仁です。
いらっしゃった皆さんは、九州の親戚みたいな、なんだか懐かしい熱い方達ばかり。お料理もマッコリもお話も皆さんも最高に素敵でした。
翌日のお昼は、またまた趣ある伝統的な館、四宣斎。
李王朝時代の偉大なる学者でカトリック教徒であったため、中央からこの地へと左遷され、18年間この地で暮らした丁若鏞(ジョン・ヤギョン)にゆかりある家です。彼はこの康津の地で、600冊の本を書き、学問を完成させたといわれます。彼が滞在したことで、都の貴族の食事が伝わり、地元の料理が洗練されていったそうです。
コンサート会場は小さな町なのに、700席以上ある立派な康津アートホール。
通訳の田さんとお話を入れながら、進行。韓国の歌をうたうと、やはりとても盛り上がりました。
今回、康津の方からぜひ歌ってほしいとリクエストされていた「モランドンベク」という歌は、康津の郡の花である牡丹と椿が詩のなかにあらわれる、とてもよい歌です。
椿はもう散ってしまったけれど 高野に雪が降れば
優しい顔の椿娘が 夢の中で微笑むよ
この世は風吹き はかないところ
私は とある海を さまよう さまよう
どこかの砂浜で さみしく さみしく 眠りについても
もう一度椿が咲くまで 私を忘れないでくれ
(2番の歌詞の訳)
寅さんの歌、と呼んでしまうほど、流浪の心を歌う歌です。く〜。
(終演後に、サイコーなお坊さんたちと)
そして、翌朝。郡庁へ寄るために、一行は少し早めに出発。
なんと、康津郡の広報大使に任命されてしまったのです!
郡主より、ありがたき任命状をいただき、これからこの康津の素晴らしさを世に伝えるため、「モランドンベク」を歌い、広報をしましょう、と決意。
もうすっかり親しみ深い皆さんにお礼とお別れを言って、全州へと出発したのでした。
そして・・・。
その時の写真と新聞記事が印刷された立派なアルバムが3日程前に、康津郡から届きました。
感動が蘇りました。
もうすでに、とても懐かしいところ&人々です。
広報大使として、また行かなくてはいけませんね。
続く。
by miomatsuda
| 2013-08-15 00:24
| ◆旅日記/Traveler's note